藍 と人との関わりが始った古い時代から現在までの情報を整理、発信します。
HANADA倶楽部は徳島市内の東西に細長く山裾を広げた「眉山」の麓にあります。
吉野川の河口に位置するこの辺りは古代では海の中です。
小島であった「眉山」は聖なる山とされ、一切の民を住まわすことが禁じられていました。
標高290mの山頂に続く登り口には必ず神社寺院があり、その境内から登るように登山道がつくられていました。
名前の由来は、天平6年(734)3月、聖武天皇の難波行幸に従駕したときの歌として、「眉(まゆ)のごと雲居に見ゆる阿波の山かけて榜ぐ舟泊(とまり)知らずも」船王:ふねのおおきみ 万葉集に詠まれています。
何時のころから「眉山」と呼ばれるようになったのか分りませんが、古くは風光明媚な吉野川の三角洲が、中国の渭水(黄河最大の支流)に似ていることから、渭津、渭山(いのやま)と呼ばれていました。室町時代に室町幕府の管領、細川頼之が渭津城(徳島城)を築きました。
眉山山頂からは徳島平野を一望でき、天気のよい日には淡路島や対岸の紀伊半島まで見ることができます。
1992年に設立しましたが、展覧会中心の活動でした。これからは藍講座を開催したり、オープンアトリエを設けるなどの活動も考えています。アトリエでの藍の仕事にほとんどの時間をとられていますが、ご要望などありましたら連絡下さい。
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