両 親、祖父母は徳島の出身ですので、関東で育った私でも少しは徳島のことは知っていました。だけども藍のことなど聞いたこともありませんでした。
父方の祖母はこの眉山の麓で長年暮らし、訊ねますと近くに紺屋があったのは覚えていました。明治31年(1898)に合成藍の輸入が始り、祖母の青春時代には合成藍や硫化染料の全盛期になっていました。(本人は阿波藍だと思っていましたが……)
明治憲法下で市制がしかれた頃の徳島は、阿波藍の隆盛がつづき大変活気のある状況だったようです。
藍商人の数もおよそ4000人いたと伝えられています。それぞれが格付を競っていた様子を藍商人見立一覧表で見ることができます。 →クリックで大きくなります