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高原義昌•田辺脩『細菌による藍の工業的還元に関する研究』

治31年に合成藍の輸入が始まり、大正時代になると天然藍は衰退します。消滅しようとしている技術の解明や染色方法の説明も衰えていくのはわかりますが、化学染料の普及が終わると昔の染料への懐古が生まれ、僅かですが日本では天然藍が使われ続けました。転換期にインド藍(藍靛)や合成藍との折合いから、世界でも珍しい割建てという曖昧な技術を生み出し、現場は様々な情報があふれていました。同じように見える藍瓶でも、経営者の仕事の選択によって使われる染料、添加する材料が著しく異なった状態で「藍染」として存在していました。戦後「本物」と称して藍染が注目されたときから、伝えるべき情報が現実から乖離した言葉だけの内容になって、益々混乱したように思います。

 

『細菌による藍の工業的還元に関する研究』高原義昌•田辺脩(1960年工業技術院発酵研究所)による論文があります。藍還元菌の生理形態の究明と醗酵建の菌学的研究です。公的機関での研究は初めてだったかもしれません。「細菌(バクテリア)による天然藍の還元、いわゆる醗酵建は有史以前から行われているにもかかわらず、その実態は全く不明で各地の染色場においては古来からの言い伝えや長い間の経験と‥‥」藍染を行っている現場の管理技術や醗酵時間の短縮など、合理化と染色生産費の低下も見据えての研究だったと思います。研究結果は有意義なこともあったかとも思いますが、残念な結果も報告されています。

 

 

「醗酵過程において細菌や酵母の関与で炭酸ガスと水素が生産されるといわれてきたが、乳酸、ピルピン酸、蟻酸、酢酸の検出による炭酸ガスの発生のみで、酪酸は検出されず水素の発生は認められなかった」と報告されました。このことで酪酸醗酵、乳酸醗酵による水素によって還元するという従来の説を否定しました。藍の含有糖分や麸などの澱粉の糖化作用も否定されています。現在ではどちらの説明が有力なのかははっきりしてきましたが、この時点で後藤捷一氏など従来の原理は支持を得られないことになったように思います。大掛かりな機材を使って、却って醗酵のシステムを考えるうえで混乱が生じました。明治の研究者中村喜一郎は「藍玉濁建」「藍玉澄建」は灰汁を使って説明しています。そして「苛性曹達建」「灰汁建」との区別もしていますが、発酵研究所の試験の藍染は苛性ソーダで行っています。30年藍染をしているだけの微弱な経験からですが、この違いは大変大きいことだと考えます。