昭 和49年(1974)に「伝統的工芸品産業の振興に関する法律」が通商産業(現:経済産業)省によって制定されました。伝統的に使用されてきた原材料を用い、伝統的な技術、技法によって製造することが挙げられていますが、目的は地場産品を生産し流通させ、産地が存続することにあるように思います。当初から「持ち味を変えない範囲で同様の原材料に転換することは、伝統的とする。」と重要無形文化財に比べると材料に対しても技術に対しても継続性を踏まえて、時代に即した変化が認められている基準になっていました。
昭和51年(1976)文化財保護法の改定によって、重要無形文化財の指定を受けている久留米絣の技術保存者会が発足します。同年に「伝統的工芸品産業の振興に関する法律」により久留米絣が伝統的工芸品の指定を受けます。この時点で小千谷縮や宮古上布、久米島紬を含む染織関係は23点が指定されていますが、その後結城紬と芭蕉布も指定され、越後上布のみ重要無形文化財だけの指定となります。重要無形文化財で指定された久留米絣と「伝統証紙」の付いた久留米絣にどのような違いがあるのか、多くの消費者にとって重要無形文化財との区別に混乱を与えたことと思います。
精巧な紛いもの、類似品からの識別のめやすを提供することが重要だと「伝統証紙」などを貼付したことは、消費者にとっては伝統的工芸品の内容を理解しないまま「伝統証紙」の付いた伝統的工芸品を国のお墨付きとなった「工芸品」だと思ったかも知れません。いずれにせよ、昭和50年代これらの織物が天然藍による染めが規定されていないことを伝えると一様に疑問を持たれました。
「伝統的工芸品産業の振興に関する法律」によって伝統的(100年以上の歴史を有し、現在も継続している)工芸品づくりを伝承することは困難で、それは産地の技術・技法の保護より地場産業産地の経済的な発展を振興しているからです。そして伝統的工芸品の生産額は昭和49年以降、経済成長のなか年々増加を続け59年(1984)には生産額が最高となりました。