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呉藍 紅藍花

藍は和名を「久礼乃阿為」くれのあい、やがて漢名の紅藍・紅花を用いるようになります。飛鳥時代に中国から朝鮮半島を経て渡来したといわれています。呉国(中国)から伝えられた藍(当時は染料の総称)という意味で、「くれのあい」が「くれあい」と約されやがて「紅」の字を当てるようになったといわれています。万葉集では29首が詠まれていますが「くれのあい」から「くれない」に変わっていて、末摘花を併用しているものも1首あります。赤の色素を持つ植物は少なく、古代染色の中でも紫とともに貴重な染料で、茜に比べて鮮やかな色は貴族の憧れの色でした。

 

藍のことを調べていて「呉藍」の文字を初めて見たのは『和漢三才図絵』に掲載されている藍・藍澱・青黛の説明文のなかです。正徳2年(1712)に寺島良安によって編纂された類書(百科事典)で、中国の『本草綱目』を参考に挿絵を入れて解説をしています。藍の項目に藍の種類として「蓼藍」「菘藍」「馬藍」「呉藍」「木藍」が記載されています。蓼藍の和名が付け加えられただけで、説明文は本草綱目の引用と国内での藍の説明があります。1596年の薬物書『本草綱目』李時珍には「藍凡五種‥‥」からはじまり蓼藍、菘藍、馬藍、呉藍、木藍の五種類の藍草の葉の形や花の色などの説明がされています。私が確認できた『本草綱目訳説』小野蘭山(1729–1810)は書写年が不明ですが、日本には最初の出版の数年後には輸入され、その後中国で版を重ねることに和版を出版して、和刻本は3系統14種類に及ぶそうです。

 

中国においては、古くから数多くの本草書が編纂されており、梁の陶弘景により480年頃改訂復原した『神農本草経』別録に初めて「大青」の名が挙がっています。その後の本草書、医薬の書物などにも藍は掲載され、時代が経つと馬藍、木藍などの科の違う品種の藍草の分類や、その薬効についても追加されるようになります。

 

万葉集の原文に1首だけ呉藍の表記がありますが、他との意味の差異はありません。

 

呉藍之 八塩乃衣 朝旦 穢者雖為 益希将見裳

くれなゐのやしほの衣朝な朝ななるとはすれどいやめづらしも(巻11–2623)

 

 

如何なる草を想像して詠まれたのでしょうか。