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住吉大社と海上運送

島市勢見の金比羅神社は九メートル余りの石灯籠で日本一といわれるくらい立派なものですが、同じく藍玉大阪積株仲間が大阪住吉大社に寄進した石灯籠も見事な一対です。天保2年(1831)に献灯され「永代常夜燈」頼山陽:筆と書かれた石標もそえられ、北参道一の鳥居の右奥にあります。海上守護の祈願をこめるとともに、広告塔としての意味合いもあったといわれる名筆石灯籠です。住吉大社は全国約2300社の住吉神社の総本山で、藍商人や海上運送の関係者の崇敬を集めていました。石灯籠も藍商以外で撫養(鳴門)、那賀郡などの廻船業のものが見られ、当時の海運関係の繁栄が想像できます。境内には様々な地域から寄進された石灯籠の数が大小あわせて約620基以上も残されていて、元禄年間(1688–1703)以降に奉納されたのものが圧倒的に多く、各業界の石灯籠からも大坂を中心に商品が活発に流通していたことや、貨幣経済や町人階級の経済発展の様子がわかります。

 

藍商人たちは全国の売場へ海上運送で藍玉を搬入し、問屋経由で仲買が紺屋へ売りさばくのですが、売場先では相互協調のため仲買は京都在に得意先を持つ者同士が祇園講、大和売が春日講というように仲間を結成していました。そして祇園講は八坂神社、春日講は奈良春日明神へ常夜灯を寄進しています。同業組合のような株仲間が信仰を軸に展開しているようにも窺えます。

大坂販売機構は古来からの由緒•実績•慣例があり大変複雑で、幕府の保護もあることから藍商人とは紛争が尽きませんでした。大阪四天王寺勝鬘院多宝塔に安置している愛染明王の信仰を軸に、大坂問屋と徳島問屋と仲買の利害関係の協調機関に愛染講があり、阿波藍師と大坂仲買•愛染講との相互援助機関ともみれる記録も残されています。天保14年の天保改革によって株仲間解放なども経て、明治10年頃まで存続していたようです。

 

 

伊勢神宮参拝の「伊勢講」住吉大社内市戎の「信心講」讃岐金刀比羅宮の「金平講」などは、商売繁盛の祈願と同業懇親とを目的にした利害関係のないものもあったようです。