古 代の固有の色は「明-あか」「暗-くろ」「顕-しろ」「漠-あお」の4色で表されることから、色名や色彩の認識は分り難く多くの解釈が存在することも当然で、古の藍で染めた色も青なのか緑なのか確定されていません。洋の東西を問わず古代の青色はぼんやりしてはっきりしない色を包括していて、古代社会での赤•黒•白の基本色に対して象徴的意味も弱く、日常と異なった異世界の色ともされていました。そして古代のみならず、現代日本語の形容詞として使える色も、古代4色と黄色、茶色だけで表わすことから青と緑の範疇が重なったままです。
現在でも「緑」には生まれたばかりの新しいものを「みどり」と称し、海や空などの寒色系統の深い色や黒く艶のある色である「緑の黒髪」までの色感を持ちます。古代青色と黄色との間色は、色名と現実の色が特定できない色ではあるのですが『延喜式縫殿寮』に残された色名と染色する材料から、古代の色を推定することが考えられます。
『万葉集』10巻2177「春は萌え夏は緑に紅の綵色(まだら)に見ゆる秋の山かも」奈良時代末期の歌学書『歌経標式』宝亀3年(772)「わが柳美止利(みどり)の糸になるまで‥‥」と奈良時代になると緑はおしなべて草木の葉の色を指すようになりますが、平安時代になっても緑は「あお」と呼ばれています。青とは微かに青色を帯びた色で、1.染色は 薄い青色 2.織色は 経糸は白 緯糸は青 3.重色は 表は青 裏は白といわれています。当時は青色といえば浅い灰色がかった黄緑色、青といえば緑の濃く青味を帯びた色を指していたようです。青と緑が分岐するのは室町時代になってからともいわれますが、一般名•通俗的に「青」と、公式名として「緑」と後世まで呼ばれていると書かれている状態では、分類の難しさが現在まで続きます。
冠位12階の色制が孝徳天皇大化3年(647)に、7色13階制に変更されたとき「緑」の漢名が見られるようになり、『延喜式縫殿寮』には「深緑」「中緑」「浅緑」の3段階の染め方と用度が記載されています。綾一疋の染料は「深緑」藍10囲、刈安草大3斤「中緑」藍6囲、黄檗大2斤「浅緑」藍半囲、黄檗2斤8両となっています。染料の分量から推定して深緑は常磐の松の緑のようだとされ、江戸時代は濃く暗い緑色の千歳緑の色名を指しています。中緑は松や柳の若葉の緑で鮮やか緑とされ、浅緑は浅い緑色で薄青の色名も使われます。染色する材料の加減で多くの色彩を得ることができるので、宇津保物語・枕草子・源氏物語・寝覚物語など平安文学には柳色、青朽葉、松の葉、萌黄、苗色と時代とともに多くの名称が見られます。
参考:「日本の伝統色」長崎盛輝 京都書院