白 と青の表記は『古事記』天岩屋戸の神話に見えます。天岩屋戸の前で太玉命が、真栄木(榊)の枝に鏡と玉を懸け、白和幣(しらにぎて)青和幣(あおにぎて)を取り垂でて‥‥と上古に行われた祭祀の行事に使われる、樹皮の繊維で作られたものの名称に使われています。白和幣は楮/穀(かじのき)から、青和幣は大麻から作られた繊維だといわれていて、白と青はそれぞれの繊維の色を表しています。白と青の色彩シンボリズムは祭祀•王権の中心の色として、祈年祭の祝詞に青雲•白雲が慣用句に用いられ、「青雲」「青馬」の青は霊的な象徴性を表しています。
宇津保物語や源氏物語に青き白橡、赤き白橡と記されていますが、この「橡(つるばみ)色」は今も不明なことが多く、諸説の中で橡が櫟の古名であることから櫟で染めた薄い茶色を「橡色」と呼び、それを「白橡」と称したと考えられています。『延喜式縫殿寮』には「青白橡」「赤白橡」と記載があり、いずれも太上天皇•天皇着用の袍の色とされ、禁色とされています。綾一疋の染料は「青白橡」刈安草大96斤、紫草6斤「赤白橡」黄櫨大90斤、茜大7斤を用いることになっていて、何れも橡(つるばみ)の使用はありません。
青き白橡は平安文学の中で、青色とも書かれていて室町時代の『桃花蘂葉』に「青色。又麹塵ト号ス。又山鳩色ト号ス」記されています。麹塵(きくじん)は中国の色名で麹黴の色に因んだもので、山鳩とはアオバトと呼ばれた日本在来の鳩の色に因んだものといわれています。当時は青色といえば青白橡の浅い灰色がかった黄緑色、青といえば緑の濃く青味を帯びた色を指していたようです。
古代王権は祭祀によって部族集団を統治していました。祭祀•王権の象徴性は青•白で表し、赤•黒•白•青は宇宙観を象徴していましたが、大陸から律令体制を導入したことで、新しい色彩のシンボリズムと儀礼国家の体制が敷かれました。長く続いた古代王権との兼合いは困難が生じ、色彩のシンボリズムも体制の不満や衝突から安易な変更を重ねます。推古11年(604)に冠位12階制で初めて位階によって冠の色を定め、紫•青•赤•黄•白•黒としました。陰陽五行説の五色と紫を加えたものです。孝徳天皇大化3年(647)に7色13階制に変更され、その後天智3年(664)、天武14年(685)、持統4年(690)と変遷します。『大宝律令』大宝元年(701)で1世紀におよんだ冠位制は廃止され、『養老律令』天平宝字元年(757)で「衣服令」として復元します。秩序全体において厳格に決定した色彩に、絶対的な象徴性を感じることができなかったともいえます。体制の限界を暗示しているようで、現在まで青と緑が分岐できないまま続くのは、事象への認識や認識の枠組みが古代部族社会の「曖昧さ」を残存しているようにも思えます。
大化3年頃まで紺は鴨頭草(ツユクサ)の花の汁、緑は刈安草と鴨頭草で染めたとされ、天智3年の7色26階制に変更されたときから紺と緑に藍が使用されるようになった、といわれます。装束の青色を考える観点では染料の「藍」が導入された時点が重要なのですが、5世紀の応神天皇から雄略天皇の頃という説と、8世紀の聖武天皇の頃という説などがあり、今でも解釈の進展はなく主観的な想像での解釈ばかりです。
参考:「日本の伝統色」長崎盛輝 京都書院