「紅掛」「紅消」を形容した染色名が江戸中期以降になると、染色方法を記した書物で見られます。元の色に紅を上掛けした色という意味と、紅の色を見えなくしたという意味で染法から生まれた色名だと思います。藍によって空色•花色•御納戸色に下染めし、紅を上掛けすることで「紅掛空色」「紅掛花色」「紅掛納戸」と呼ばれる青紫系統の濃淡の色味です。これらの染色は江戸中•後期に流行したのではないかといわれますが、伝えた記事などは見当たらないようです。『手鑑模様節用』『布帛染色服飾糸口』(1808)など江戸後期の染物覚書に染色方法が記されて、クールで粋な色調が愛用されました。
『手鑑模様節用』には「紅かけ花色。古、薄ふたあい」と書かれていて、二藍は平安時代に愛用された色で、藍と紅で染めたにぶい青みの紫をいいます。江戸中期の明和のころの流行色は青みの色でしたので、瑠璃紺や花色とともに微妙に紫の色相を重ねた色で差別化をしたのでしょうか。藍と紅、茜や蘇芳の組み合わせで鮮やかな赤紫の「牡丹」「花紫」から紫みの深い青紫の「紺桔梗」のような色彩をつくり出すことができます。
桔梗色は『宇津保物語』『栄華物語』など平安時代から重色、織色に見られ、重ねの色目は表二藍・裏青で他にも諸説あります。平安時代には見られなかった染め色ですが、江戸時代には桔梗色の染色が行われています。「下染めをちぐさに染、其うへへすわうにめうばん少し入染てよし。但し本紅を遣ふ時は右のごとく下染のうへへ紅染のごとく染てよし」明和9年(1772)『諸色手染草』に書かれています。青と赤によって染める紫のバリエーションは、紺屋によって微妙に違っていたことでしょうから、素材も染色品の価格設定の段階で選択されたかも知れません。「桔梗色」「紺桔梗」「紅桔梗」の色名は洒落本や浄瑠璃•随筆などに多く見られますので、もしかしたら、茜や蘇芳で染めた物と紅で染めた物を区別するために「紅掛」は使われた色名かも知れません。
参考:「日本の伝統色」長崎盛輝 京都書院