伊藤洋一郎と出逢って間もなく話したことは、十七才のとき中国大陸で終戦を迎え、南京での捕虜収容所のことだった。わたしは父との確執から異常なほど戦前、戦中、戦後のことに関心をよせて本を読んだり、映画を見たり、人に話を訊いていた。そのとき訊いた話は思いがけないことが多かった。親しくなってからの印象は、戦前の教育を受け戦場を体験した人とは思えない姿だ。ひとつだけ日常で感じられたのは、毎晩机の上を整理し、着たものをきちんと畳み就寝することだった。七十才を過ぎたころから、日記を書き出し、それからこの手記を書きはじめた。どれほど、重く、心のなかで発酵していたのだろうか。
no-017
少年兵の手記 無意識の熱情から軍隊生活の不条理な価値観のもと 1944-46
(つづき)
教育隊の日々 面会日
面会日の前夜はみんな落着きがなく、消灯後も声のないざわめきが残っていた。早朝三時過ぎ、急テンポのラッパの音に重なって、「非常呼集」の声が飛び交ざった。闇の中で手探りで軍装を整え、背のうを背負い銃を手に階段を駆け下りる。兵舎の入口にはもう教育兵が待ち構えていて、時計を手に所要時間を計っている。「⚪︎班、四分三十秒遅いぞ」投げつけるような叱声が飛ぶ。「㐧⚪︎班集合おわり」威勢のいい報告の声。集合のはやい班はもう駆け出していた。営門を出た長い列が深夜の大通りを駆け抜けてゆく。銃は重く肩ではずみ、銃剣の鞘を握って走る。うっかり手離すと跳ねて足がもつれる。どれだけの距離走るのか見当もつかないのが不安だ。長距離には自信があるが、それにしても異常なスピードだ。遅れまいと必死で走る。靴の中で足が燃えるように痛い。靴に足を合せろか、チキショウ。汗が目に入るが両手がふさがっている。やっとスピードが落ちた。もう一時間は走ったはずだ、十キロも過ぎたと思うころ五分間の休息。銃口を上に三挺の銃を交差させて組み、水筒の水を一口飲んで道端に倒れこむ。見上げた空がかすかに白んでいる。無情な出発の声にまた駆け出す、顎が上がってくると腕の力が抜けて、肘も上がってくる。前を走る仲間の天秤棒を担いだような銃口が、不意に目の前に現れてギョッとする。横に振れているのも恐い。半ば意識を失ったのか、銃を引きずっている奴がいる。あいつ今夜は半殺しだぞと、頭の隅で余計なことを考える。もう気力は限界に近い、体力はとっくに尽きている。足が重くてあがらず、小石につまづいて体が泳ぐ。口は乾いてツバも出ない。やっと見馴れた大通りに出た。もう営門は遠くない。通りには早出の人影が幾つか、何事かと立止まって様子を窺っていた。汗と汚れにまみれ、ひきつった顔の哀れな集団が、列を乱して営門に駆け込んでゆく。なんとか落伍しなかったこれ以上望むことは何もない。兵舎前に整列して点呼をうけ、全員揃った班から順に解散する。悲しいことに㐧二班は落伍者が二名。全員揃ったときには、兵舎前に他の群れはいなかった。ビリだ。内務班に戻って銃を銃架に、背のうをおろして整列する。班長が厳しい表情でみんなの顔を見渡したあと、ひとつタメ息をついて黙って出ていった。教育兵たちは無言で三方に別れ、端から殴りはじめた。みんな覚悟のうえだったから、解散のあと黙々と軍装をといて銃の手入れにかかる者、炊事当番は炊事場へ急ぎ、汚れた靴を腕一杯に抱えて外に走る者もいる。毎日の繰り返しは今日も変わらない。
朝食が終ると上段から声がかかった。「今日はおめかししろよ」外出と面会日には正装して新らしい靴を履く。殴られて間のない顔は赤く腫れて隠しようもないが、精一杯念を入れて服装を整える。英門近くの芝生の上には、机と椅子が持ち出され、仮の面会所が用意されていた。机の上には色とりどりの風呂敷包みがのっている。もう重箱のフタが開き家族に囲まれて笑顔の仲間の顔もみえる。賑やかな笑い声、柔らかい女の声、泣き声もまじる。顔を合せて一瞬表情を変えたが、軍隊経験の長い父は何も訊かなかった。外出の許可はもらってある、母は旅館で待っていると知らせたあと、黙ってぼくの腕に手をかけた。松山での面会日はこの一回きりだった。
(つづく)